山梨のパンの歴史館

日本における小麦の歴史は、西日本の弥生遺跡から小麦粒が出土していることから、およそ2千年の歴史があると云われています。
現在の「パン」と呼ばれる語源となったのはポルトガル語の「Pao」(パオ)であり16世紀後半にポルトガル人によって伝えられたが、キリスト教の追放と 鎖国を契機として以来禁止制品となり、明治初頭の文明開化を合い言葉として「パン」の歴史も再び復活することとなったと歴史は伝えてます。

私たちは【山梨のパンの歴史】を繙くにあたり、「パン」と呼び始めた16世紀後半よりの歴史をスタートとし、時代ごとのニュースと食の文化を照らし合わせ、我々が歩んできた歴史をまとめる作業を行いました。
食生活の近代化や洋風化は大正後期から進展しましたが、戦争により食べることさえ困難な時代へと突入。

そのどん底から這い上がった日本の経済は、高度成長により所得の増加と輸入の拡大等で目ざましい発展を遂げました。
ものが無い時代、技術が無い時代に、先達の努力と知恵があったからこそ今日のように、安定しておいしいパンを食べる事ができることを改めて学びました。

私 たち山梨県パン協同組合は、地域の活性化につながる地場の特性を活かした商品研究に取り組む等の活動を通して新しい「食文化」を築いて行きたいと考えてお ります。今も昔も変わらないのは、「おいしいものを作りたい」そして「笑顔で食べてもらいたい」というパン作りに対する情熱です。

山梨のパンの歴史館
館長 今澤 雅俊

 

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