年代 | 国内外の動き | 山梨のパンの歴史 |
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645年 | 大化の改新 | ※山梨のパンの歴史に関する資料不足のためパン業界の歴史のエピソードを紹介 |
718年 養老2年 | 行基が中国から伝来したぶどうの種子を携え適地を求め勝沼に播種した | |
1186年 文治2年 | 甲斐国で野生ぶどうを発見し栽培を始める | |
1299年 | 東方見聞録なる | |
1339年 暦応2年 | 帰化した中国人が奈良に住み饅頭をつくる、これが饅頭づくりの初め | |
1492年 | コロンブス、新大陸発見 | |
1492年 | マゼラン、世界一周に出発 | |
1549年 | キリスト教伝来 | |
1590年 | 豊富秀吉、全国統一 | |
1600年 | イギリス、東インド会社設立 | |
1603年 | 徳川家康、江戸幕府開幕 | |
1543年 天文12年 | 種子島に漂着したポルトガル船により鉄砲の伝来と共にパンが伝わる | ▼パンが伝来したが、その後キリシタン禁教令によりパンの製造も禁止され、出島で細々と伝承された。 |
1624年 寛永元年 | 長崎の福砂屋、ポルトガル人直伝のカステラの製法を始める | |
1689年 元禄2年 | 「南蛮茶」としてコーヒーが紹介される | |
1751年 宝暦元年 | 神戸の駒屋から酒饅頭が売り出される | |
1776年 | アメリカ独立宣言 | |
1842年 天保13年 | 江川太郎左衛門、邸内でパンを焼く | ▼西洋の兵学に長けていた韮山の代官であった江川太郎左衛門は、幕府の命を受け、品川沖に砲台場を、韮山に反射炉を作り黒船の来航に備えた。彼が次に考えたのは、兵糧であった。 戦場で飯を炊けば煙りが上がり敵に気付かれると考え、出島のパンに注目し、長崎の料理人を韮山に招き、パン釜を作り兵糧用のパンを焼かせた。 |
1853年 | ペリー、浦賀来航 | |
1855年 安政2年 | 柴田方奄、長崎でパン、ビスケットの製法を習得して水戸藩に報告する | |
1858年 安政5年 | 横浜ホテル誕生、洋式のパンと料理を提供する、この頃各藩では兵糧パンの製造を相次いで始める | |
1860年 万延元年 | 野田兵吾、横浜本牧に日本人としては初めてのパン店を開業 | ▼パンの日本での普及のきっかけは開国だった。横浜で最初のパン屋は日本人の店だった。運上所近くの長家に住む内海兵吉が仏軍艦の乗組員からパンの作り方を聞き及び、見よう見まねで作り売り始めた。その後、横浜にはたくさんのベーカリーが誕生し、日本人も買いに訪れるようになった。 |
1865年 慶応元年 | 横浜製鉄所、横須賀造船所等の起工に伴って、フランス技術者数十名が来日しフランス式パン、ケーキが伝えられる | |
1868年 明治元年 | 明治維新 風月堂の米津松蔵、東北征討軍の糧食として黒ごま入パン5千人分を納める | |
1869年 明治2年 | 東京の芝に木村屋、下谷に文明軒が開店しパンを販売する | ▼木村屋の初代・木村安兵衛がパン屋を開いた当時のパンは、煮出したホップ汁にジャガイモを入れて一晩おき、この中で育てた酵母を小麦粉に混ぜて焼いたもので、クッキーのように固くおいしいものではなかった。 |
1870年 明治3年 | 甲府の山田宥教・詫間憲久、ぶどう酒を試作し京浜地方に売り出す | |
1874年 明治7年 | 木村屋主人木村安兵衛、米麹を用いた独特のあんパンを売り出す | |
1894年 明治27年 | 日清戦争はじまる | |
1896年 明治29年 | 第1回オリンピック、アテネで開催 | ▼木村安兵衛は、試行錯誤の末、空気のきれいな神田駿河台で採集した酵母菌を、お茶の水で汲んだ水と東京一と評判の「天野屋」の麹で育て、この菌でパン生地を醗酵させて焼くと、今までになくふっくらと焼き上がり、酒種酵母による「木村屋のあんぱん」が誕生した。当時は1個5厘で、当時のそば1杯の値段に匹敵した。 |
1901年 明治34年 | 相馬愛蔵、東京本郷に中村屋を開業し、パンを製造する | |
1904年 明治37年 | 日露戦争はじまる | |
1905年 明治38年 | 中村屋クリームパンを発売する | |
1912年 大正元年 | 明治天皇死去により新年号「大正」 | |
1914年 大正3年 | 第一次世界大戦勃発(~1918年) | |
1918年 大正7年 | ジャガイモパンなどの代用食パン現れる 1911年(明治44年)東京・京橋に「カフェー・プランタン」開店。チキンカツサンドなどが人気 | |
1920年 大正9年 | 陸軍、パン食制を採用する | 大正10年の山日新聞広告 |
1923年 大正12年 | 関東大震災 杉本隆治ら、圧搾生イーストでの製パン法を公開実験。パン量産体制の基礎を築く | |
1930年 昭和5年 | オリエンタル酵母会社設立国産イーストが勃興する | 昭和4年頃のガス式パン焼き器 |
1932年 | ▼(昭和7年)この頃、富士吉田に2軒ほどパン屋があった | |
1938年 昭和13年 | この頃、東京銀座にホットドッグ立喰いの屋台店が現れる | |
1939年 昭和14年 | 第二次世界大戦勃発 | |
1941年 昭和16年 | 大平洋戦争はじまる(~1945年) | |
1945年 昭和20年 | 広島・長崎に原爆投下 ポツダム宣言受諾 政府、GHQに食料435万トン輸入要請 | ▼戦前はイーストが無くジャガイモをすり潰し醗酵させて酵母として代用したり、ホップを発酵させホップ種を代用したり、どぶろくの酵母を代用したりしてパンを焼いていた ※白木町にあった辻パン店が軍隊にパンを納入していた当時のパンは硬いものであった ※当時のパン作りは種つぎをして作っており醗酵に時間がかかった窯は石窯で両そでに炊き口のあるものでダルマと呼ばれていた |
1946年 昭和21年 | 日本国憲法公布 ガリオア資金による学校給食が開始 | |
1947年 昭和22年 | パン食普及のため、七大都市の家庭にベーキングパウダー200gを配給する | ▼(昭和22年)甲府市内の小学校で放出物質による週2回の補食給食が開始され、順次郡部でも実施されるようになった |
1948年 昭和23年 | この頃より食糧事情が好転し始める | |
1949年 昭和24年 | 湯川秀樹ノーベル物理学賞受賞 | |
1950年 昭和25年 | 米以外の主食のパン等を自由販売する | ▼(昭和25年)この頃、パン屋の従業員は、住み込み3食付きで月給千円位だった ▼一部ではあったがイーストでパンを作り始める |
1951年 昭和26年 | 対日講和・安保条約調印 | ▼甲府市内の学校で県下初の完全給食が開始された ▼小麦粉の統制が外れる ▼砂糖の統制が外れる ※統制組合に加入していないと配給されなかったため誰でもパンやお菓子をつくれなかった ※又、砂糖は貴重品であったためズルチンやサッカリンを使用し甘味を補っていた |
1952年 昭和27年 | 学校給食を全国小学校に拡大実施 | |
1953年 昭和28年 | NHKテレビ放送開始 | ▼冷害対策によるユニセフの無償ミルク給食が開始された |
1954年 | ▼学校給食法が制定され、県下各地域で学校給食を開始するようになった 冷害対策にともなうパン・ミルク給食が開始された(特に北巨摩郡下) |
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1955年 昭和30年 | ▼この頃のパン屋は、小売店にパンを卸して販売していた 昭和30年頃の給食メニュー |
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1956年 昭和31年 | 日本、国際連合加盟 当時田舎では農協でしか電気を引くことができなかったため、農協の名前をつけパン業を営んでいた 全日本パン協同組合連合会設立初代会長に木村栄一氏就任 学校給食を中学校に拡大(学校給食法改正) | 昭和31年新車購入の記念写真 |
1957年 昭和32年 | ソ連、人工衛星打ち上げに成功 南極に昭和基地設営 全国パン祭り開催 | |
1958年 昭和33年 | 過当販売競争抑制のため東京都パン工業組合創立、以後各県に続出 | ▼一般のパン屋にイーストが普及した |
1959年 昭和34年 | メートル法施行 大阪から東京千駄ヶ谷に移転した日本パン技術研究所開校 | ▼台風災害により学校給食の補助を特に国庫から受けた牛乳が学校給食にとり入れられた |
1960年 昭和35年 | インスタント食品流行 昭和35年頃の菓子店の風景 労働基準法によるパン屋の週休制を各地で採用 | ▼東京第一パン・山崎パンなどが山梨に進出 ▼当時は自転車でイーストを配達していた |
1961年 昭和36年 | パン食PRのためTV放映ポスター制作 | |
1963年 昭和38年 | 社団法人日本パン工業会発足 | ▼山梨県パン協同組合設立 昭和38年頃の給食メニュー |
1964年 昭和39年 | 東京オリンピック開催 製パン業、中小企業近代化促進法業種に指定される | |
1966年 昭和41年 | ザ・ビートルズ来日 製粉業界に近代化促進法実施 エリザベス・アーノルド財団設立南極越冬隊に冷凍パン寄贈 以後、毎年寄贈 | ▼高度へき地(3級地以上)にパン・ミルクの無償給食が開始された 昭和40年頃の富士吉田のパン屋風景 |
1967年 昭和42年 | 日本パン技術者協会創立 | |
1968年 昭和43年 | 学校給食パン用の小麦粉漂白全面中止 ズルチンの使用禁止 表示パンの実施 | |
1969年 昭和44年 | アポロ11号、月面着陸 人手不足深刻、パン業界の週休拡大 | |
1970年 昭和45年 | 大阪万国博開催 日本フランスパン友の会創立 セルフスタイルのパン屋、東京・横浜等で人気 | |
1971年 昭和46年 | 沖縄返還協定調印 日本製パン製菓機械工業会設立 ベークオフ・システムの本格的展開 水質汚濁防止施行 | |
1972年 昭和47年 | 札幌冬季オリンピック開催 日中国交回復 ソ連大凶作により世界市場から穀物4千トン買い付け、結果外麦大暴騰 | |
1973年 昭和48年 | 第一次石油ショック 外麦価格4倍に値上がり | ▼この頃山梨県製パン技能試験検定制度が始まる |
1974年 昭和49年 | 米価32%の大幅値上げ | |
1975年 昭和50年 | ベトナム戦争終結 リジン騒動発生 アメリカの大豊作で外麦大暴落 | |
1976年 昭和51年 | ロッキード事件 全日本ベーカーズフェア 食糧庁より標準パン(150円)の確保要請 | |
1977年 昭和52年 | 中小企業分野調整法公布 独占禁止法改正案成立 小麦粉の全面的無漂白を実施 | |
1978年 昭和53年 | 第二次石油ショック 成田空港開港 | ▼職業訓練指導員(製パン技能士)の資格制度始まる ▼現理事長・今澤氏が一級技能士資格取得で技能検定員となる |
1979年 昭和54年 | 臭素酸カリウム問題論議おこる パン流通構造調査委員会発足 | |
1980年 昭和55年 | 即席めん、輸入自由化 臭素酸カリウムが使用中止 | ▼山梨でもセルフスタイルのパン屋が出来て人気となるそれ以前は対面販売だった 昭和55年頃セルフスタイルのパン店が人気 |
1981年 昭和56年 | パン生産量120万トン(粉換算)突破 | |
1983年 昭和58年 | 東京ディズニーランド開園 「おしん」ブーム 労働省、製パン技能者検定制度開始 | ▼個人経営のパン店でフランスパン専用窯が導入され始める ▼早朝作業を軽減するためのドゥ・コンディショナーが県内のパン屋に導入され始めた |
1984年 昭和59年 | 新パン科学会館完成(東京・西葛西) | |
1987年 昭和62年 | ニューヨーク株式市場株価大暴落 | |
1988年 昭和63年 | 高級食パンブーム | |
1989年 平成元年 | 消費税3%スタート 昭和天皇死去、新元号「平成」 山崎パン「ダブルソフト」大ヒット | ▼焼き立てパンを販売する店が県内各所に出てきた |
1990年 平成2年 | 東西ドイツ統一 日糧パン「チーズ蒸しパン」大ヒット | 地元で収穫した小麦粉を使用して焼いた「地粉パン」 |
1991年 平成3年 | 食品添加物表示始まる | |
1992年 平成4年 | 地球サミット開催 協和発酵、バイオを利用した高速熟成製パン法公開 | |
1993年 平成5年 | 新冷蔵耐性イースト開発 ガット・ウルグアイ・ラウンドの決着 | |
1994年 平成6年 | 関西国際空港開港 日本人初女性宇宙飛行士・向井千秋さんコロンビア号で宇宙飛行 全パン連、パン工業会の2団体「焼きたてパン」の定義を定める セブンイレブンの「焼きたて直送便」開始によりフレッシュ戦争の様相呈する | |
1995年 平成7年 | 地下鉄サリン事件 阪神淡路大震災 天然酵母パン話題となる ドンクのミニクロワッサンに行列 PL法(製造物責任法)施行 パンフェスタ開催 | ▼家庭でパンを焼くのが流行し、趣味が高じてパン屋を開店する人が出てきた |
1996年 平成8年 | 大阪府堺市で病原菌O157による食中毒発生 | ▼個性的なパン屋の出店で、自然食ブームにのり各地のパン屋で健康・安全・安心をアピールした個性的なパン屋や商品が出てきた |
1997年 平成9年 | 長野冬季オリンピック開催 消費税が5%になる | |
1998年 平成10年 | 欧州11カ国統一通貨「ユーロ」誕生 | |
1999年 平成11年 | JCO臨海事故 | |
2000年 平成12年 | 省資源化のためリサイクル法実施 | ▼山梨県産の小麦粉、ワイン・果実・ホップ・麹等の天然酵母を使用した山梨でしか作れない産地の特長を活かした商品研究に取り組み始める |
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